地狱变(日文版)pdf下载

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简介:地狱变(日文版)
出版社:华东理工大学出版社
出版时间:2018-05-23
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内容介绍

编辑推荐
  《地狱变》通过一个仆人的嘴,叙述了主人公为了追求艺术不顾一切,即使爱女牺牲也强忍哀伤,在所不惜的形象。这个血淋淋的故事,客观地写出了奴隶主的骄奢淫侈和深受压迫的仆人们的悲惨命运,读了使人有惊心动魄之感。本篇小说的主题是作者借画家良秀来表现自己艺术至上的观点,小说通过良秀和大公个性上的矛盾,表现了以心理的解释来创作历史小说的作者追求艺术和人生价值转换的观点。良秀的最终结局意味着:虽然舍弃了生命,却确保了艺术家的尊严。艺术具有高于生命和人生的价值。
目录
版权信息










十一
十二
十三
十四
十五
十六
十七
十八
十九
二十
精彩书摘
  堀ほり川かわの大おほ殿との様さまのやうな方かたは、これまでは固もとより、後あとの世よには恐おそらく二ふた人りとはいらつしやいますまい。噂うわさに聞ききますと、あの方かたの御お誕たん生じょうになる前まえには、大だい威ゐ徳とく明みやう王おうの御お姿すがたが御おん母はゝ君ぎみの夢ゆめ枕まくらにお立たちになつたとか申もうす事ことでございますが、兎とに角かく御お生うまれつきから、並なみ々なみの人にん間げんとは御お違ちがひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方かたの為なさいました事ことには、一ひとつとして私わたしどもの意い表ひょうに出でてゐないものはございません。早はやい話はなしが堀ほり川かわのお邸やしきの御お規き模ぼを拝はい見けん致いたしましても、壮そう大だいと申もうしませうか、豪ごう放ほうと申もうしませうか、到たう底てい私わたしどもの凡ぼん慮りょには及およばない、思おもひ切きつた所ところがあるやうでございます。中なかにはまた、そこを色いろ々いろとあげつらつて大おほ殿との様さまの御お性せい行こうを始し皇くわう帝ていや煬やう帝だいに比くらべるものもございますが、それは諺ことわざに云いふ群ぐん盲もうの象ぞうを撫なでるやうなものでもございませうか。あの方かたの御お思おぼ召しめしは、決けっしてそのやうに御ご自じ分ぶんばかり、栄えい耀よう栄えい華がをなさらうと申もうすのではございません。それよりはもつと下しも々じもの事ことまで御お考こうへになる、云いはば天てん下かと共ともに楽たのしむとでも申もうしさうな、大だい腹ふく中ちゅうの御ご器き量りょうがございました。
  それでございますから、二に条じょう大おお宮みやの百鬼夜行ひやつきやぎやうに御お遇ぐうひになつても、格かく別べつ御お障さはりがなかつたのでございませう。又また陸みち奥のくの塩しほ竈がまの景け色しきを写うつしたので名な高だかいあの東ひがし三さん条じょうの河か原わら院いんに、夜よるな/\現あらはれると云いふ噂うわさのあつた融とほるの左ひだり大だい臣じんの霊れいでさへ、大おほ殿との様さまのお叱しかりを受うけては、姿すがたを消けしたのに相そう違いございますまい。かやうな御ご威い光こうでございますから、その頃ころ洛らく中ちゅうの老ろう若にゃく男なん女にょが、大おほ殿との様さまと申もうしますと、まるで権ごん者じゃの再さい来らいのやうに尊たっとみ合あひましたも、決けっして無む理りではございません。何い時つぞや、内うちの梅ばい花かの宴えんからの御お帰かえりに御お車くるまの牛うしが放はなれて、折おりから通とおりかかつた老ろう人じんに怪け我がをさせました時ときでさへ、その老ろう人じんは手てを合あわせて、大おほ殿との様さまの牛うしにかけられた事ことを難なん有ゆうがつたと申もうす事ことでございます。
  さやうな次し第だいでございますから、大おほ殿との様さま御お一いち代だいの間あいだには、後のち々のちまでも語かたり草ぐさになりますやうな事ことが、随ずい分ぶん沢たく山さんにございました。大饗おほみうけの引ひき出で物ものに白あを馬うまばかりを三さん十じゅう頭とう、賜たまはつたこともございますし、長なが良らの橋はしの橋はし柱ばしらに御ご寵ちょう愛あいの童わらべを立たてた事こともございますし、それから又華陀くわだの術すべを伝つたへた震しん旦たんの僧そうに、御おん腿もゝの瘡もがさを御お切きらせになつた事こともございますし、――一々かず数かずへ立たてゝ居おりましては、とても際さい限げんがございません。が、その数かず多おおい御お逸いつ事じの中なかでも、今いまでは御お家いえの重ちょう宝ほうになつて居おります地じ獄ごく変へんの屏びょう風ぶの由ゆ来らい程ほど、恐おそろしい話はなしはございますまい。日ひ頃ごろは物ものに御お騒さわぎにならない大おほ殿との様さまでさへ、あの時ときばかりは、流石さすがに御お驚おどろきになつたやうでございました。まして御お側そばに仕つかへてゐた私わたしどもが、魂たましいも消きえるばかりに思おもつたのは、申もうし上あげるまでもございません。中なかでもこの私わたしなぞは、大おほ殿との様さまにも二に十じゅう年ねん来らい御ご奉ほう公こう申もうして居おりましたが、それでさへ、あのやうな凄すごじい見み物ものに出で遇あつた事ことは、ついぞ又またとなかつた位ぐらいでございます。
  しかし、その御お話はなしを致いたしますには、予あらかじめ先まづ、あの地じ獄ごく変へんの屏びょう風ぶを描えがきました、良よし秀ひでと申もうす画え師しの事ことを申もうし上あげて置おく必ひつ要ようがございませう。
  良よし秀ひでと申もうしましたら、或あるいは唯ただ今いまでも猶なお、あの男おとこの事ことを覚おぼえていらつしやる方かたがございませう。その頃ころ絵え筆ふでをとりましては、良よし秀ひでの右みぎに出でるものは一ひと人りもあるまいと申もうされた位ぐらい、高こう名めいな絵え師しでございます。あの時ときの事ことがございました時ときには、彼かれ是これもう五ご十じゅうの阪さかに、手てがとゞいて居おりましたらうか。見みた所ところは唯ただ、背せの低ひくい、骨ほねと皮かわばかりに痩やせた、意い地じの悪わるさうな老ろう人じんでございました。それが大おほ殿との様さまの御お邸やしきへ参まいります時ときには、よく丁ちやう字じ染ぞめの狩かり衣ぎぬに揉もみ烏ゑ帽ぼ子しをかけて居おりましたが、人ひとがらは至いたつて卑いやしい方ほうで、何な故ぜか年としよりらしくもなく、唇くちびるの目め立だつて赤あかいのが、その上うえに又また気き味みの悪わるい、如い何かにも獣けものめいた心こころもちを起おこさせたものでございます。中なかにはあれは画が筆ひつを舐なめるので紅べにがつくのだなどゝ申もうした人ひとも居おりましたが、どう云いふものでございませうか。尤もっともそれより口くちの悪わるい誰だれ彼かれは、良よし秀ひでの立たち居ゐ振ふる舞まひが猿さるのやうだとか申もうしまして、猿さる秀ひでと云いふ諢あだ名なまでつけた事ことがございました。
  いや猿さる秀ひでと申もうせば、かやうな御お話はなしもございます。その頃ころ大おほ殿との様さまの御お邸やしきには、十じゅう五ごになる良よし秀ひでの一ひと人り娘むすめが、小女房こねうばうに上あがつて居おりましたが、これは又また生うみの親おやには似にもつかない、愛あい嬌きょうのある娘こでございました。その上うえ早はやく女おんな親おやに別わかれましたせゐか、思おもひやりの深ふかい、年としよりはませた、悧り巧こうな生うまれつきで、年としの若わかいのにも似にず、何なにかとよく気きがつくものでございますから、御み台だい様さまを始はじめ外がいの女にょう房ぼうたちにも、可愛かわいがられて居いたやうでございます。
  すると何なにかの折おりに、丹たん波ばの国くにから人ひと馴なれた猿さるを一いっ匹ぴき、献けん上じょうしたものがございまして、それに丁ちょう度ど悪いた戯ずら盛さかりの若わか殿との様さまが、良よし秀ひでと云いふ名なを御おつけになりました。唯ただでさへその猿さるの容よう子こが可笑をかしい所ところへ、かやうな名ながついたのでございますから、御お邸やしき中なか誰だれ一ひと人り笑わらはないものはございません。それも笑わらふばかりならよろしうございますが、面おも白しろ半はん分ぶんに皆みなのものが、やれ御お庭にわの松まつに上あがつたの、やれ曹ざう司しの畳たたみをよごしたのと、その度たび毎ごとに、良よし秀ひで々々と呼よび立たてゝは、兎とに角かくいぢめたがるのでございます。
  所ところが或ある日ひの事こと、前まえに申もうしました良よし秀ひでの娘むすめが、御お文ふみを結むすんだ寒かん紅こう梅ばいの枝えだを持もつて、長ながい御お廊ろう下かを通とおりかゝりますと、遠とおくの遣やり戸どの向むこうから、例れいの小こ猿ざるの良よし秀ひでが、大おお方かた足あしでも挫くじいたのでございませう、何い時つものやうに柱はしらへ駆かけ上のぼる元げん気きもなく、跛びつこを引ひき/\、一いっ散さんに、逃にげて参まいるのでございます。しかもその後ごからは楚すばえをふり上げた若わか殿との様さまが「柑かう子じ盗ぬす人びとめ、待まて。待まて。」と仰有おつしやりながら、追おひかけていらつしやるのではございませんか。良よし秀ひでの娘むすめはこれを見みますと、ちよいとの間あいだためらつたやうでございますが、丁ちょう度どその時とき逃にげて来きた猿さるが、袴はかまの裾すそにすがりながら、哀あわれな声こえを出だして啼なき立たてました――と、急きゅうに可か哀わいさうだと思おもふ心こころが、抑おさへ切きれなくなつたのでございませう。片かた手てに梅うめの枝えだをかざした儘まま、片かた手てに紫むらさき匂にほひの袿うちぎの袖そでを軽かるさうにはらりと開ひらきますと、やさしくその猿さるを抱だき上あげて、若わか殿との様さまの御お前まえに小こ腰ごしをかゞめながら「恐おそれながら畜ちく生しょうでございます。どうか御ご勘かん弁べん遊あそばしまし。」と、涼すずしい声こえで申もうし上あげました。
  が、若わか殿との様さまの方ほうは、気き負おつて駆かけてお出ででになつた所ところでございますから、むづかしい御お顔かおをなすつて、二に三み度たび御おみ足そくを御お踏ふみ鳴ならしになりながら、
  「何なんでかばふ。その猿さるは柑かう子じ盗ぬす人びとだぞ。」
  「畜ちく生しょうでございますから、……」
  娘むすめはもう一いち度どかう繰くり返かえしましたがやがて寂さびしさうにほほ笑えみますと、
  「それに良よし秀ひでと申もうしますと、父ちちが御ご折せつ檻かんを受うけますやうで、どうも唯ただ見みては居いられませぬ。」と、思おもひ切きつたやうに申もうすのでございます。これには流石さすがの若わか殿との様さまも、我がを御お折おりになつたのでございませう。
  「さうか。父ちち親おやの命いのち乞ごひなら、枉まげて赦ゆるしてとらすとしよう。」
  不ふ承しょう無む承しょうにかう仰あおぐ有あると、楚すばえをそこへ御お捨すてになつて、元もといらしつた遣やり戸どの方ほうへ、その儘まま御お帰かえりになつてしまひました。
  良よし秀ひでの娘むすめとこの小こ猿ざるとの仲なかがよくなつたのは、それからの事ことでございます。娘むすめは御お姫ひめ様さまから頂ちょう戴だいした黄おう金ごんの鈴すずを、美うつくしい真しん紅くの紐ひもに下さげて、それを猿さるの頭あたまへ懸かけてやりますし、猿さるは又またどんな事ことがございましても、滅めっ多たに娘むすめの身みのまはりを離はなれません。或ある時とき娘むすめの風か邪ぜの心ここ地ちで、床ゆかに就つきました時ときなども、小こ猿ざるはちやんとその枕まくらもとに坐すわりこんで、気きのせゐか心こころ細ぼそさうな顔かおをしながら、頻しきりに爪つめを噛かんで居おりました。
  かうなると又また妙みょうなもので、誰だれも今いままでのやうにこの小こ猿ざるを、いぢめるものはございません。いや、反かへつてだん/\可愛かわいがり始はじめて、しまひには若わか殿との様さまでさへ、時とき々どき柿かきや栗くりを投なげて御おやりになつたばかりか、侍さむらいの誰だれやらがこの猿さるを足あし蹴げにした時ときなぞは、大たい層そう御ご立りっ腹ぷくにもなつたさうでございます。その後ご大おほ殿との様さまがわざ/\良よし秀ひでの娘むすめに猿さるを抱だいて、御お前まえへ出でるやうと御ご沙さ汰たになつたのも、この若わか殿との様さまの御お腹はら立だつになつた話はなしを、御お聞ききになつてからだとか申もうしました。その序ついでに自し然ぜんと娘むすめの猿さるを可愛かわいがる所由いはれも御お耳みみにはいつたのでございませう。
  「孝こう行こうな奴やつぢや。褒ほめてとらすぞ。」
  かやうな御ぎょ意いで、娘むすめはその時とき、紅くれなゐの袙あこめを御ご褒ほう美びに頂いただきました。所ところがこの袙あこめを又また見みやう見み真ま似ねに、猿さるが恭うやうやしく押おし頂いただきましたので、大おほ殿との様さまの御ご機き嫌げんは、一ひと入しほよろしかつたさうでございます。でございますから、大おほ殿との様さまが良よし秀ひでの娘むすめを御ご贔ひい屓きになつたのは、全まったくこの猿さるを可愛かわいがつた、孝こう行こう恩おん愛あいの情じょうを御お賞しょう美びなすつたので、決けっして世せ間けんで兎とや角かく申もうしますやうに、色いろを御お好このみになつた訳やくではございません。尤もっともかやうな噂うわさの立たちました起おこりも、無む理りのない所ところがございますが、それは又また後あとになつて、ゆつくり御お話はなし致いたしませう。こゝでは唯ただ大おほ殿との様さまが、如い何かに美うつくしいにした所ところで、絵え師し風ふ情ぜいの娘むすめなどに、想おもひを御お懸かけになる方ほうではないと云いふ事ことを、申もうし上あげて置おけば、よろしうございます。
  さて良よし秀ひでの娘むすめは、面めん目ぼくを施ほどこして御お前まえを下おりましたが、元もとより悧り巧こうな女おんなでございますから、はしたない外ほかの女にょう房ぼうたちの妬ねたみを受うけるやうな事こともございません。反かえつてそれ以い来らい、猿さると一いっしよに何なにかといとしがられまして、取とり分わけ御お姫ひめ様さまの御お側そばからは御お離はなれ申もうした事ことがないと云いつてもよろしい位くらい、物もの見み車ぐるまの御供おくもつにもついぞ欠かけた事ことはございませんでした。
  が、娘むすめの事ことは一いち先まづ措おきまして、これから又また親おやの良よし秀ひでの事ことを申もうし上あげませう。成なる程ほど猿さるの方ほうは、かやうに間まもなく、皆みなのものに可愛かわいがられるやうになりましたが、肝かん腎じんの良よし秀ひではやはり誰だれにでも嫌いやはれて、相不変あひかはらず陰かげへまはつては、猿さる秀ひで呼よばはりをされて居おりました。しかもそれが又また、御お邸やしきの中なかばかりではございません。現げんに横よ川がはの僧そう都と様さまも、良よし秀ひでと申もうしますと、魔ま障さわにでも御お遇あひになつたやうに、顔かおの色いろを変かへて、御お憎にくみ遊あそばしました。(尤もっともこれは良よし秀ひでが僧そう都と様さまの御ご行ぎょう状じょうを戯画ざれゑに描かいたからだなどと申もうしますが、何なに分ぶん下しもざまの噂うわさでございますから、確たしかに左さ様ようとは申もうされますまい。)兎とに角かく、あの男おとこの不ふ評ひょう判ばんは、どちらの方ほうに伺うかがひましても、さう云いふ調ちょう子しばかりでございます。もし悪わるく云いはないものがあつたと致いたしますと、それは二に三さん人にんの絵え師し仲なか間まか、或あるいは又また、あの男おとこの絵えを知ちつてゐるだけで、あの男おとこの人にん間げんは知しらないものばかりでございませう。
  しかし実じっ際さい、良よし秀ひでには、見みた所ところが卑いやしかつたばかりでなく、もつと人ひとに嫌いやがられる悪わるい癖くせがあつたのでございますから、それも全まったく自じ業ごう自じ得とくとでもなすより外ほかに、致いたし方かたはございません。
精彩插图